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夜観ると寝てしまうと思って、まだ明るいうちから構えて観始めたら な~んか観た覚えがあるなぁ、それもここ最近・・・? オープニングの車内羽交い絞めシーンや、父親との幻想シーン。 愛人も記憶に新しいし、妻も、乞食の豊満なおばさんのルンバも。 ぶどう酒風呂シーンも、どれもこれも。 だけど後半三分の一は観てないのはなぜ? そうねぇ、やっぱり寝てしまって、期限切れでそのまま返却してしまったのでしょう。 映画のタイトルも覚えるの苦手だからね。(言い訳) そんなわけで、夕べ深夜放送を録画していました。 この映画は前半に、特に夢想が多くて一見難解だけど、 そこは二度目と言うことで難なくクリアー。 中盤からは吸い込まれるように観てしまいました。

さて、マルチェロ・マストロヤンニ扮する売れっ子監督(フェリーニ自身を描いている)の創作活動における、生みの苦しみを描いている。タイトルはこの作品を創る以前に8本の長編映画と、1本の短編映画 を製作したところから付けたらしい。苦悩するこころの流れていくさま、足らないもの埋めようとするそれぞれ。 監督自身は当然ながら、特に女性の描き方が面白い。 さまざまなモデルで。まぁ華やかですねぇ。 とうとう土壇場に追いやられても、作品として表現すべき形は見えてこない。 製作発表会場に集まった、怒涛の人ごみから逃げまとい、自己からも逃避、幻想の中で自殺をしてしまう。 結局、映画のセットのために多額の債務を負いながら、映画制作をお流れにしてしまった。 攻め立てられているうちは、混乱に襲われてそこから抜けられなくて苦しむけれど
すべてから開放されて、自らを振り返る余裕が出来たとき 、混乱は僕自身の反映なのだと気づき、混乱こそ受け入れるべきものであり 、人生はお祭り騒ぎのようなものだと達観する。 人間は、見えなかったものが、見えてくるということが何にもまして幸福なんですね。 クライマックスはフェリーニ監督らしく、特異なシーンが展開します。 出演者全員がお手手繋いで輪になって。 まさにお祭り騒ぎだけど、監督の晴れ渡るような喜びがひしひしと伝わってきて、 私自身も場面の中に吸い込まれるように 血湧き、肉踊る感動のクライマックスでございました、はい。

付け足すとすれば、ハーレムの幻想シーンでの妻の描き方が面白かった。ほかの女性は、映画界を象徴するような華やかさと、持ち前のキャラのまま。ところが妻だけは、がらりと様相を変え、妻の立場を演じつつも、雑用係のようで飾り気なしの作業着姿。だけど、そんな立場に満足している。監督の意図が何とするのか、それは想像の域を超えないけれど、心の片隅に、そのような女性像に寄りかかりたい、つまり、すべてを包んでくれる懐の大きな母にも似た安らかな存在。極端ない言い方をすると、聖母マリアのような存在、それを妻に求めた。事実上の妻、ジュリエッタ・マシーナに置き換えても想像はたやすい。そんなところから私なりのフェリーニの人物像をみてしまうのだ。

まだ、白黒映画でした。
この次の作品「魂のジュリエッタ」からカラーでしたっけ?
ジュリエッタ役はもちろんジュリエッタ・マシーナ。
それからこれは余談だけど、かのドノヴァンのフェイバリットな映画と言うのがこれ「魂のジュリエッタ」らしい。
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2005.10.23 / Top↑
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