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世界の眼がわかる! ヘラトリ・トピックス〔第37号〕
『~クリスマス特集~イラクのキリスト教徒と、斑鳩(いかるが)の里』

(ヘラトリとは、NYタイムズの国際版 International Herald Tribuneの略称)


連日にはなりますが、24日付けのヘラトリ紙に、とても興味深い記事が載っていましたので、ショート版でお届けします。

23日の渋谷精舎での英語御説法の中で、「アメリカは、アフガニスタンのタリバン(イスラム勢力)のことを攻撃しているが、タリバンとは、“神の子、或いは神の生徒”という意味があるのだ」というお話がありました。ですから、今、とても悲しい悲劇が起きています。
そんな中、24日付けのヘラトリで、「暴力で引き裂かれる、イラクのキリスト教徒のクリスマス」という記事が掲載されました。

「イラクの首都バグダッドにあるキリスト教会では、警察の護衛に護られながら、クリスマスのミサが行われているが、イラク北部にあるキリスト教(東方教会)の聖地モスルでは、23日、教会への爆弾テロが起きて、死者が出た。それ以前にも、同地では、教会への爆弾攻撃が三度あり、幼児が亡くなった他、40人の負傷者を出した。この教会の名前を“聖トマス教会”(後述)という。
イラクには、およそ75万人のキリスト教徒がいると言われているが、2003年にイラク戦争が始まるまでは、まがりなりにも、イスラム教徒とキリスト教徒は、平和に共存していた。過激派から標的にされるようになったのは、それ以降であり、以来、殺人、誘拐、その結果としての棄郷が続いている」とあります。

今日は、いつもとは違う視点からのアプローチになりますが、同じ悲劇は、中世十字軍の頃のイスラエルの聖地エルサレムについても言えて、ヨーロッパの十字軍が攻め込んでくる前は、イスラム教徒とキリスト教徒は、やはり平和裏に共存していたと言われています。

今日、お話したいのは、この「聖トマス教会」についてです。
ご存じ、イエスの12使徒の一人のトマスは、イエス死後、グノーシス派の走りとなり、イラクのモスルに拠点となる教会を建てて、インドまで伝道しました。(今でもインドには、トマス殉教の墓が残っています。この話は、インドの故ネール首相が、独立記念演説の中で紹介して、有名になりました。)
そのトマスの東方教会は、今のアフガニスタンやウィグルの辺りまで伝道して、当時そこに王国を築いていた「大月氏(だいげっし)」(世界史に出てきますね)の人々を、キリスト教に改宗したのです。その後、大月氏の子孫が、中国の王朝からの度重なる徴発、労役に耐えかねて、万の単位で脱走して、朝鮮半島(楽浪郡)に逃げ出し、最後、日本にやってきたのが、聖徳太子のブレーンになった秦氏一族でした。以下はかつて、「渋谷精舎・七の日講話」でも、触れられたことがありますが、秦氏の宗教は、かつてのイラクの聖トマスのキリスト教(グノーシス派)だったことは、その世界ではよく知られている「公然の秘密」です。(当時の飛鳥の斑鳩(いかるが)の里には、紅毛碧眼の渡来人が闊歩していたと言われています。
「平安時代の火事で大半が焼失する前の、オリジナルの京都・広隆寺(秦氏の氏寺)は、バテレン(キリスト教)の教会だった」ことは、既に、江戸時代の国学者が調査して突き止め、著書に残しています。今でも、わずかに焼失を免れた箇所には、十字架や五芒星(エル・カンターレ・ファイト!)の装飾が残されています。
一方、残されたイラクの東方キリスト教徒達は、その後9世紀に、全盛期のイスラム帝国(アッバース朝ペルシャ)が、世界最高峰の科学の研究機関(事実上のヘルメス学院)を創ったときに、その母体となりました。なぜなら、エジプト以来のヘルメス思想は、彼らの間にこそ、保存されていたからです。(聖徳太子が秦氏を優遇したのも、彼らの持っている科学知識(機織り、医術など)が優れていたからでもあります。)

ということで、今、イラクで苦しんでいる方々は、決して我々にとって、無縁の方々ではないのですね。時空を超えて、すべては縁起で繋がっています。

以下省略
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2009.12.27 / Top↑
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