上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
ところで
ドノヴァンのジャケなしシングルが出て来たのだけど
「ケルティック・ロック」ってやつ
音源持ってるよね?  
中古レコード専門店店主より


(もってましゅ)

open_road.jpg

これに入ってる。
高一か、高二で手に入れたはずだけど、
(タメ)のyokoちゃんは中学生のときにゲットしたんだって。
なんたること!

ナイショの秘密で彼女のレビューもって来ました。
こっそり見てね。
"Celtic Rock" 1970年 CBSA82071  ...Yoko   

中学2年の夏の終わり、私は水泳部に所属し、個人メドレーの選手として、毎日、練習に励むカッパのYokoだった。
ところが、ある日、おませなクラブメイトのマキちゃんが、
「Yoko、深夜放送って聞いたことある?オールナイトニッポンって面白いんだよ~」と、私を誘惑。
好奇心旺盛な私は、その夜からニッポン放送の電波を受信。
最近テレビのニュースでもお顔を見かける亀渕昭信氏がDJをつとめていた番組を聴くことに。
ビタースィートサンバで始まるその番組、「オールナイトニッポン」のスポンサーのひとつだった
CBSソニーのコマーシャルを耳にしたのが、Donovan との運命の出会いであった。

森のざわめき、馬の嘶き。
トロルのドラムや行進を想わせるリズムと、豊かなピアノの音色。
哀愁とロマン溢れるメロディー。
そして、旅の途上、困難に立ち向かいつつ、道を切り拓こうとする人の心を表すように響く不思議な歌声。

ほんの数十秒間流れるこのCMにすっかり魅せられた私は、翌日、プールでマキに尋ねた。

「ねえ、あのケルティク・ロックって誰の曲?」
するとマキは、ビート板を投げてよこしながら「Yoko、知らないの?Donovanよ」
「えっ、ドノバン?これはビート板でしょ」
「違うわよ、あの曲を作って歌ったのがDonovanだって言ったのよ」
「ドノバン、ふーん、ドノバンね…」

水しぶきをあげながら行ってしまったマキの後を追いかけながら、
私は「よし、もうすぐ来る私の14歳の誕生祝いには、自分でドノバンのレコードを買おう!」と、心に決めたのだった。
そして、ある秋の日曜日、ついに、"Celtic Rock"を手にした私は、そのレコードに針を落とすや否や、Donovanの虜に。
今思えば、この曲は、ミッキー・モストと別れ、自分でアルバム"Open Road"をプロデュースし、
愛する人Lindaと結婚しようとしていたDonovanの、新しい出発を象徴する作品。
B面の"Riki Tiki Tavi"とともに、いわば、Donovanが、本当に大人として自立した頃の記念すべき一曲である。
そして、14歳になり、少しだけ大人に近づいて、
カッパのYokoから文学少女ならぬDonovan少女に変身したYokoにとっては、
このレコードこそが、Donの作品のささやかなコレクションの記念すべき一枚目となったのである。
このシングル盤を買って以来、私は、毎日、英和辞典と首っ引きでDonの歌詞を辿り、
Donと一緒に歌い、Donが読んだというルイス・キャロルやイェイツを読み、
『バガバッドギーター』に惹かれ、一人で瞑想の真似事を始め、星の観察に凝る…
という日々を送ることになったのだった。
当時、ニール・ダイアモンドのファンだったマキ以外に、周囲にDonovanを知る友が殆どいなかったため、
それは、『ニューミュージック・マガジン』から情報を得ながら、
自分でレコードや楽譜を買う以外にDonovanの音楽を聴く術のなかった少女にとっては、
お小遣いのすべてが、Donに関わるあれこれに消えた日々でもあった。
やがて、20歳になったばかりの親友マキが白血病であっけなく他界し、
私は、様々な出会いに恵まれながら、3人の子を育て、ささやかな仕事を続ける身に。
人生の秋にさしかかった今、私は、Donの音楽にどっぷりと浸かりながら過ごした少女時代を、なつかしく思い出している。
 ああ、Donovan! 私が最も多感だった頃、私のすべてだった人!
今でも、私は忘れない。初めて、"Celtic Rock"を聴いた日の胸のときめきを。


カンペキダ

DSC01762.jpg
オマケ
関連記事
2010.09.03 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://pantyann777.blog7.fc2.com/tb.php/2008-1bb9e16c
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。