上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
禅の公案のなかに、無門関四十八則というのがあります。
その中の一つに「百丈野狐」(ヒャクジョウヤコ)
という話があるそうなんですよ。
さてさて、ざっとかいつまんでみましょ。

百丈和尚のところに野狐(ヤコ)というものがやって来ました。
野狐というのは、読んで字の如く、ノギツネのことです。
このノギツネ、いつも百丈和尚の話を聞きにやってきておりました。
実はこのノギツネは、もともとは人間で、
どういうわけか、狐に生まれ変わっていたのですね。
人間の時は僧でしたが、その僧時代に、旅人にこう尋ねられました。
「神仏の子、あるいは如来、菩薩のような光の指導霊であれば、
因果の法則にくらまされることはないのか。
それとも、因果の法則はくらますことができないものなのか」
そのときに、こう答えた。
「悟った人というのは、不落因果、つまり因果に落ちず」
つまり因果の法則から逃れているのだ。

仏典を読めば、釈迦がそういうことをいっているところがあります。
人は解脱すれば、転生輪廻の法則から外れて
もはや、この不浄に満ちた地上に生まれることはないと釈迦が語ったと仏典に残っている。
ところが僧は悟っていたつもりが、死んだらそこは、なんと、地獄であった。
なぜ地獄であったのか。
間違った答えを出したから、と言うわけです。
落ちて既に500年、ついにその姿はノギツネとなってしまいました。
そこで、ノギツネは老人に化けて、
たびたび百丈和尚のもとに話を聞きに通い、あるとき、こう問いかけました。
「悟った人は、因果の法則の外にあるのでしょうか、
それとも因果の法則は、くらますことが出来ないのでしょうか」
和尚はこう答えました。
「不昧因果(フマイインガ)、因果の理をくらますことは出来ぬ。
たとえ悟った人であっても、因果の理法というのはくらますことは出来んのだ」

この原因結果の法則、蒔いた種は刈り取らねばならない、という法則は、
如来、菩薩であってもくらますことは出来ないのだ、と、こう語ったそうです。


つまり、悟ったまま向こうの世界にいる限りは、
因果の法則の外にいることが出来るが
悟った霊もまた生まれ変わることは可能で
そして新しいこの世の人生を0からスタートするということは、
全てを自由意思に任されるゆえ、過去世で悟っていようが、
自己責任において、今世、蒔いた種を刈り取らねばならないのである。
というわけですね。

私たちはよく、この野狐禅(ヤコゼン)ということばを使いますねぇ。
そうそう「百丈野狐」も谷口雅春先生の霊言集の中にはいっておりました。
関連記事
2005.11.21 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://pantyann777.blog7.fc2.com/tb.php/21-dd193488
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。