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今わたしは嫁いで来たときの姑の年齢になっている。
姑の生き様、老い方を追って観てきたものとして
わが身を振り返り、これから迎えようとする高齢期を
姑をお手本に生きられたらいいと思う。

年をとると脳内だけでなく身体は縮み、臓器も全てが衰えるのにもってきて、
栄養を取らねば、枯れていくのは誰にでも判る。


病院行きを約束してくれた翌、翌日、日曜日の夜のできごと。

姑は自分でトイレに行って排泄していた。
その夜もいつものように、座卓に置いた手を支えに立ち上がろうとしたが、
中腰のままで力尽きて固まってしまった。

「立てないのか? だったら連れていってあげるよ」と夫も声をかける。

「自分で行くからかまうことない!」

この期に及んでも毅然としている、これが姑というひと。

それから見守ること延々20分。
意思を無視して善意を即行動に移すだけが良いわけじゃない。
その間微動だにせず、中途の姿勢を崩さず。

とうとう痺れを切らした、気の長い息子夫婦が姑の両脇を支えてトイレに連れて行く。

それが最初で最期の介護といえば介護か・・

だけども衣服を下げる行為が不慣れなのと、
介護された経験のない当人との連携がうまくいかず衣服を濡らしてしまった。

それが非常にショッキングな出来事であったと思う
それまで保ちつづけたプライド心が音を立てて崩れてしまったんだと思う。
両脇を抱えられ、ベッドに寝させられ、着替えさせられてそのまま寝付いた。
寝付いたまま、翌朝になっても目を覚まさない。

なので寝たままおんぶして診療所に連れて行くことになる。
入院してからも昏々と寝ている。
診療所に入院してから三日目に救急車で大きな病院に移すことになるが
ストレッチャーにのって移動するときに一言、どこに意識が残っていたのか
家に帰るのかとつぶやいたその言葉が今でも耳からはなれない。
息子も嫁ものどの奥から「帰るよ」といいたかったが
医師に促されるまま大きな病院へと運ばれることになる。
(無意味であったが)

知らないということは罪なことです。
今となれば訪問医療制度を活用すればよかっただけのことだった。
昔でいう往診というやつ。
限界まで頑張っていた姑だ。
そうしていれば、解剖されるかもしれないという心配もなく、間もなく本望を貫けたと思う。

それと残された手段としてはもうひとつ
救急車の進路を自宅に変更できなかったことが悔いとして残ってしまった。

それでも過ぎてしまったことを姑はきっとこう言っていると思う。

「かまへんかまへん 
なるようになったわよ」



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2011.09.25 / Top↑
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