(B型は自分さえ良ければよい利己主義者が多そう)
政治関連記事から見えてきそうな未来ビジョンに我慢の限界を超えて嫌気がさすのと
正論を講じている記事が空しく移って見えてしかたがなくて、
距離を起きたい気分にさいなまれるという光欠乏症に侵されている。
イスラムは本来、もっと自由な教えだった(前編)
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=3510
9世紀の高名なイスラム学者アフマド・イブン・ハンバルは、生涯に一度もスイカを口にしなかったという。その理由の見当がつくだろうか?
答えは、「預言者ムハンマドがスイカを食べた記録がないから」。こうした学者の影響により、コーランに備わっていた自由な思想が失われたとする本の書評が、17日付英紙フィナンシャル・タイムズに出ている。興味深い内容なので2回に分けて紹介。
その本は、トルコの若手作家Mustafa Akyolが書いた『 Islam Without Extremes』(極端なきイスラム)だ。以下、同書評から。
・イスラム嫌いの多くの欧米人には「イスラム自由主義」(Islamic liberalism)という言葉は矛盾に聞こえるだろう。だが本書を読むと、そんなことはないと分かる。
・著者によれば、コーランの内容は多元主義的原則(pluralist principles)に基づいていた。だが後世、そのダイナミックで普遍的な理性の部分が、変化を嫌うローカルな伝統の力に負けてしまった。
・コーランには自由(freedom)の考えがいろいろ入っていた。生存権、財産権、プライバシー権、移動の自由、正義、個人の尊厳、法の下の平等(rights to life, property, privacy, movement, justice, personal dignity and equality before the law)などである。その後の典拠となったイスラム文献は、義務にばかり焦点を当てた。
・シャリーア(イスラムの法体系)は本来、統治者から被統治者を保護するためのものだった。同書によれば石打ちの刑(stoning)はコーランには根拠がなく、多分ユダヤ教に由来している。女性がベールで顔を隠し、家に閉じこもって過ごすのも、ペルシャや東ローマ帝国(キリスト教)から来た風習であるのはほぼ間違いない。
・8世紀から13世紀の間に、理性派が伝統派との思想戦に負けたため、イスラムは「神中心の個人的信仰(personal, theocentric religion)」から「神政」(theocratic)に変質してしまった。
同書の内容が本当なら、ムハンマドが伝えた神の教えはもっと自由で寛容だったのに、後世の人間がねじ曲げてしまったことになる。確かに、そもそも自由や寛容さがなければ広がるはずがない。(18日の後編に続く。司)
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